6 大都会から離れた津軽にははっきりとした四季があった

   地吹雪が津軽三味線の音律に聞こえる

  開放感あふれるの舞台。

  躍動感いっぱいのり。

   紅葉で燃えるような弘前城庭園。

   見知らぬ人と話題が弾む掛け流し温泉

There were four distinct seasons in Tsugaru away from the big city

Winter when the breeze can hear the Tsugaru shamisen noises.
A stage of cherry blossoms full of openness.
Festival full of lively dynamism.
Hirosaki castle garden that burns with autumn leaves.
Hanging out hot springs where topics bouncy with strangers
        

津軽紀行01


                                                                                                         

                           2016.12.20〜
    津 軽 紀 行
     Japan's Tsugaru



                                                         
2019.2.5改


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禁転載



弘前城

  11月初頭、下白銀町通りに面した堀端には桜並木が紅葉して水面に映えていた。文化センター向かいの入母屋造りの三の丸東門から足を踏み入れると、ドウダンツツジの鮮やかな朱が目に飛び込んできた。二の丸東内門からは松の緑が映えて、楓の紅葉が光線の懸かり具合で色彩を変化させていた。まさに錦である。いずれの門も積雪を考慮していた、一層目の屋根が大きく張り出している。二の丸与力番所から内堀の桜越しに小さな天守閣が望めた。

 津軽を統一した大浦為信が計画し、二代目信牧が慶長16年に築城、明治の廃藩置県に至るまで260年、津軽藩の居城だった。


   弘前公園総合情報(クリック)


       




 南部藩の家臣であった為信が主家に先駆け、小田原攻めに参戦。秀吉から直接津軽地方の所領を安堵されたいう。この立藩の経緯から南部藩とは以降、係争が絶えなかった。当初は4万5千石。後に上野国勢多郡2千石が加増、江戸中期に10万石になった。実際の石高は30万石超だったと言われる。

 下乗橋では幾組かのカップルが、天守閣を眺めるのにちょうどよい欄干に寄り掛かる形でカメラを向けていた。天守閣石垣から内堀に向かって、紅葉したツタが水面に影を落としているのが印象的だった。本丸に入ると、小さな天守閣が大きく感じる。
江戸時代に建築された天守閣としては東北唯一のもので、三重三層の魯造りである。二方正面、白漆喰仕上げの破風、懸魚をつけた切妻屋根を有する張り出しを用いて、外観を大きく見せている。風格のある天守閣である。

 本丸前の広場から眼下には枯れた蓮池、間近に雄大な岩木山の全容を望む。蓮池を降りる坂の両側に、それこそ燃えるような楓の紅が覆いかぶさり、はらはらと散る葉でまだら模様の絨毯を引き詰めていた。

 二の丸南内門を出て、赤茶色の欄干を持った杉の大橋を渡ると三の丸広場になる。市立博物館、市民会館それに植物園がある。津軽三味線全国大会はこの市民会館で5月初旬に開催される。

 どっしり構えた追手門は城の正面玄関になる。土塁によって枡形に構えられた二層の櫓門であるが、他の城郭に見られるような特別な小門などない。小型形式だそうである。追手門を出ると、静かな水面をたたえる外堀の向かい側に市役所がある。コートの襟を立てて帰宅する人達がはじき出されていた。


津軽ごたく帳 (陸奥新報)←クリック

 H市のT氏は60ン歳。地位も富もある同市の知名人だが、九つ年下の夫人には頭が上がらないという話だ。その最大の原因は「糖尿病」とかで、ここ数年間、夜のサービスをトンとご無沙汰にしているからだという。ところが、各種会合での飲みっぷりは人並み以上だし、顔の色つやも上々で健康そのもの。そして夜は若い女性と手を取り合った歩くなど、艶っぽい話も絶えない。そこで知人K氏が「糖尿病だってホントだな」と聞いてみると、T氏は「シーッ。ワレ、カガの前だけ糖尿病よ」。



ただ風が吹いているnomi 

 3年生の時、線路の反対側に小学校ができて、2クラス分転校することになった。市内で数校しかなかった小学校が、地域ごとにいくつかに分かれていった。自宅からは徒歩での通学になったが、それでも30分ぐらいの距離はあった。今では想像できないが、田畑が一面に広がり、夕焼けに赤く染まる富士山がくっきり見えた。

 夏には学校帰り、友人が家に戻って塩を新聞紙に包んでくる。そのまま溜池にザブーン。もちろん全員フルチンである。泳ぎつかれると周りにある畑からキュウリを失敬。絶妙な塩味で本当にうまかった。夏休みに入るある日、突然先生が「今日からトマトをちぎって食べてはいけません」と注意された。消毒で畑が真っ白になったのはこの頃からかもしれない。それまではほとんどの子が回虫や蟯虫を腹の中で飼っていた。

 春のイチゴ、秋の長十郎梨。子供の腹は近所の畑で十分に肥やされていた。もちろん、生け垣などで囲われていたが、どこかに入り込む一か所を見つけ、見張りを立てて潜り込んだ。

 帰宅してからも夕刻、蚊柱が立つまで遊びまくっていた。復習、予習という言葉はなかったのかもしれない。

 栄養補給には脱脂粉乳や肝油。殺虫剤はDDT。進駐軍の協力で多くの子供たちが健康を取り戻していった。が悲劇もあった。親しくしていた友人が進駐軍の軍用トラックにひかれて死んだ。トラックが立ち去った郵便局前の道路には、黄色い物体が長く尾を引いていたのを覚えている。


底言


 初音ミク

   NHKホールで行われた鼓動とのコラボレーションをBSで見て感じたこと。

「初音ミク」も、佐渡島を拠点とする「鼓動}と共にも海外演奏に力を入れていて、演奏した各国で絶大な人気を得ている。

 熱中する観客の言葉ひとつひとつには、ミクちゃんや太鼓演奏に感動して、足を運んできていることがわかる。日本の伝統音楽ジャンルの一つである「太鼓」と先端を走る「アニメーション文化」との融合が果たす役割はNGO活動に比肩しても劣ることはない。

 国際協調が怪しくなり、各国があからさまな一国主義に走りかけているかに見える昨今、音楽がもたらす心からの感動は、若者の間に着実に浸透している。それは平和の連帯を生む。

 21世紀の先行きは案外暗いものではないかもしれない。


ちょっと余計な一言 

   「いじめ・虐待」を防ぐ組織構築は喫緊の課題



JAL 日本航空 国際線航空券


次回は土手の喫茶店「万茶ン」、山田千里「山唄」の予定です。



 山菜採りに案内していただいた弘前の地元紙M新報のS常務とは、文字通りの裸の付き合い、よく飲み、よく唄い、人生の機微を教えていただいた。

 故人となられたS常務に心底より感謝したい。


長勝寺へ