大都会から離れた津軽にははっきりとした四季があった


  地吹雪が津軽三味線の音律に聞こえる

  開放感あふれるの舞台。

  躍動感いっぱいのり。

   紅葉で燃えるような弘前城庭園。

   見知らぬ人と話題が弾む掛け流し温泉

There were four distinct seasons in Tsugaru away from the big city

Winter when the breeze can hear the Tsugaru shamisen noises.
A stage of cherry blossoms full of openness.
Festival full of lively dynamism.
Hirosaki castle garden that burns with autumn leaves.
Hanging out hot springs where topics bouncy with strangers
        

津軽紀行01




                     

                                                                                                       ?Try Google News Archive Search
2016.12.20〜 


  津 軽 紀 行
     Japan's Tsugaru




2017.12.1改


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禁転載



 23 息子とスキー

 息子がやってきた。仕事は夜勤の連続だったので、日中は自由になる時間が持てた。滑りに行くには事欠かなかった。百沢も大鰐も1時間で行くことができた。雪さえあれば2時間はゆうにに滑れる。休憩なしでたっぷり2時間滑れば足がガクガクしてしまう。9時に出発して14時過ぎに帰宅する。30分位横になって、シャワーを浴び、背広に着替えて出勤。夜勤職場は融通が利く。

 大鰐第1スキー場には山頂から初心者向けの長いパノラマコースがある。スキースクールに入ったのは第2スキー場だったので、初めてのコースであった。虹貝駐車場からスキーを担ぎ、4人乗りの高速リフトで一気に山頂へ。すばらしい見晴らしである。大鰐市街と東北自動車道、左手には冠雪した岩木山が大きく聳える。パノラマコースを滑る。車道沿いに快調に降りてくるが、お終いのところで傾斜がなくなり、歩き出す。汗たらたらになりながらようようゲレンデに出た。そこを横切って再び歩き出す。スキー板の裏側に雪が付着して重くなってくる。手もくたびれてきたころようやっとリフトにたどり着いた。再び上昇。2度目はコースの掲示板を見て、傾斜がなくなって歩き始める手前のカーブからゲレンデに出る。そこは熟練者用のチャンピオンコースの「く」の字に曲がった下側に位置していた。二人が出たあたりからはさらに傾斜がついている感じがした。「く」の字の上部では何人かが呼吸を整えていた。またコースを横切って先ほどの広いゲレンデに出た。息子もここまでは付き合ってくれた。ゲレンデを先に下ってリフトで待っているという。




 やむを得ない。私もゲレンデいっぱいを利用して降りてみた。所々にアイスバーンがあったり、急に狭くなったり、バランスを崩しながらもどうにか辿り着くことができた。息子は笑っていた。が、この経験は大きかった。多少の傾斜でもエッジを効かせれば何とか滑り降りられる。そんな自信を持つことができたのだが、それはアイスバーンの少ない大鰐や百沢のコースでは通じても、三月の八甲田の山スキーではそんな自信はいっぺんに消し飛んでしまうことになる。それはさておき、山頂まで5回リフトに乗った後、満足感にしたりながら、大鰐国民宿舎の湯船で汗を流した。

 国民宿舎おおわに山荘(閉館)は第1スキー場の駐車場前にあって、国体や高校総体の時のメディアの前線本部になる場所であった。思い切り溢れる無色透明の温泉で、ひろーい浴槽は掃除も行き届いていて清潔、雪景色を眺めながらの入浴に息子も満足。



 ここ大鰐町は古くから開けた津軽有数の温泉町で800年前、円智上人の霊夢によって発見されたという伝説が残る。津軽2代藩主信義公が御仮屋を設け、明治になると花街として栄えた。泉質はナトリウム泉で、リウマチ、運動機能障害に効能があると書いてあった。以降、大鰐に来たときは国民宿舎や川沿いの公衆温泉で入浴した。

 夜は津軽民謡ライブ「山唄」で一杯。山田千里の弟子渋谷和夫君も出演していた。息子と同じぐらいの年頃。お互い照れて挨拶していた。息子の進学を祝して乾杯した。「おめでとう」素直な私の気持ちだった。津軽三味線を爪弾く激しいばちの音と太鼓の響きが快く酔いを進行させてくれた。福士りつさんの腹の底から絞り出す津軽民謡の唄いっぷりと渋谷青年の情緒あふれる旋律が腹の底から滲み渡ってきた。いつの間にか陸奥新報の方々がお客の接待で現れていた。狭い町である。息子と飲んでいる席までY常務がやって来て祝福してくれた。弘前の人たちは皆、心の優しい人であるとしみじみ感じた夜だった。


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津軽ごたく帳 陸奥新報

 その口でも H市の某社に勤めるH女は35歳。体格もよく、目鼻立ちが大きい美人。非常に気さくなので誰からも親しまれており、懇親会などではまるで”女王”的な存在。去る日、某社の新年会がH市のA亭で開かれた。
 H女、みんなに囲まれて飲んで食っての上機嫌。注がれる酒はすぐ飲み干すし、お膳の料理もほとんど平らげていた。これを見た同僚のM氏、「H子さんだバ口から余るものねエべな」。するとH女、トロンとした目をM氏に向け、「んだども、エ(家)の人のもんだバ、口がら余る」。


ただ風が吹いているnomi 23

 初めて酒を口にしたのは、祖母の葬式の日だった。葬式は母の実家で執り行われた。その日、もう一人の叔母さんがサイダーとビールを3:1に合わせるとおいしいよと教えてくれた。小さなコップで早速試してみた。美味い。ほんのりと顔が赤くなったようだった。

 祖父母にとって最初の孫として生を受けたが、とにかく小さかったらしい。実家の4畳半の一室で、わがままいっぱい育てられた。叔母さんは10代後半のようやく少女を抜けだした年頃で、そんな赤ちゃんを背負って銭湯に連れて行ったくれた。 

 叔母さんは都内に生活の拠点を構えた。正月、都電に乗って、従弟と二人でお年玉をもらいに行くのが楽しみだった。

 学生時代、初めてガールフレンドができた時は、素敵なブローチをそっと渡してくれたが、その恋は実らなかった。就職して寮生活をしていたころ、女性を紹介していただいた。いろいろな経過を経験して、この女性を妻にした。

 母方の三姉妹は硬い結束力で結ばれていた。


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 安全神話


朝日新聞紙面で見る「福島第一原発事故」
技術者OBによる紙面切り貼り<2011年3月12日朝刊14版〜2017年9月27日>

 新聞記者ではない小生には、取材するすべはない。あるのは配達される新聞記事をスクラップして、事故の発生から経過を知ることだけである。多くの読者もまた同じであろう。

 東日本大震災発生からの朝日新聞の記事については一切の改変をすることなく、出来るだけ丁寧に拾い出したつもりである。

<3月13日>

1号機で爆発
炉心溶融、建屋は損傷

12日午後3時30分

 保安院は12日、1号機で、大きな爆発音を伴う爆発が起きたことを明らかにした。枝野官房長官は12日夜会見して、爆発は何らかの理由で建屋内にたまった水素によるもので、原子炉の安全性を保つ格納容器は損傷していないこと、今後の損傷を防ぐため、容器を海水で満たして冷やす措置を指示したことを明らかにした。福島県は同日、近くの病院の屋上で待機していた3人がこの爆発で被曝したと発表した。

 政府は第一原発の避難指示を半径10`から半径20`に拡大した。枝野官房長官によると、その理由は、海水で冷却する手段などについて原子力安全委員会など専門家とも協議し、新たなリスクはないと判断したが、「念のため万全を期すため」の措置だという。

 政府は福島第二原発についても避難を指示する範囲を、半径3`圏から10`圏に拡大した。
東電は12日午後、格納容器の損傷を防ぐため、容器内の放射性物質を含む空気を外部に放出する作業に着手。同3時30分ごろに現場敷地境界で、1時間当たり1015μシーベルトの放射線を確認した。1015μシーベルトは、一般人の年間被曝線量の限度を1時間で浴びる放射線量に該当する。放射線業務従事者は年間50_(50000μ)シーベルトかつ5年間で100_シーベルトが被曝限度とされている。

 格納容器内空気を外部に放出する作業の直後、午後3時36分ごろに、原発の建屋内で水素爆発のあと、線量は70.5μシーベルトまで落ちたことから、枝野官房長官は放射性物質の放出に大きな変化はなく、原子炉は制御下に置かれるとしている。

 福島県によると、この爆発で1号機の原子炉建屋の天井が崩落したことを確認した。

 東電の小森明生常務は12日夜、第一原発について「現在、原子炉の様子がつかめないが時間ごとの放射性物質の放出の可能性は高い。厳しい状況」と述べた。

 放射線医学総合研究所や東電が敷地内で、燃料中に含まれる核分裂生成物であるセシウムやヨウ素を確認した。いずれもウランが核分裂した後にできる物質だ。

 こうしたことから保安院、東電とも炉心溶融の可能性が高いとしている。想定されている原発事故の中で最悪の事態だ。これが進むと爆発的な反応を引き起こして、広く外部に放射能をまき散らす恐れがある。

 12日、原発の建屋内で水素が爆発し、建屋が壊れた。問題はその爆発によって建屋の内側にある格納容器がどの程度損傷したのか。枝野官房長官は「破損していない。爆発前後で放射能の出方に大きな変化はない」と発表した。原発全体が壊れたような状態に見えたが、最悪の事態は免れたといえる。しかし、格納容器は内部のガスを抜くため弁を開け、防護機能が失われている。油断はできない。
こうした対応について広瀬弘忠・東京女子大教授(災害・リスク心理学)は「政府などによる情報の出し方はパニックを恐れて、余計な情報は出さない配慮が透けて見える」と話した。

炉心溶融

 原子炉内の水位が下がり、炉心が水中から露出すると、燃料の温度が上昇し、金属と水が化学反応を起こして燃料を入れた被覆管が溶ける。冷却が不十分だと燃料の溶融から、さらに炉心の構造物の破壊と落下が起こる。ここに水があると、水と溶融物が接触し急激な爆発が起こる恐れがある。爆発で格納容器が破壊されれば、大量の放射性物質が環境に放出されることになる。

水位下がり炉心過熱

 原発建屋から爆発音。第一原発での想定外の事態に、列島中が凍りついた。格納容器の損傷は免れたとされるが、一体何が起こったのか。これからどうなるのか。断片的な情報から見えてくるのは、事態収束への厳しい道のりだ。

 1号機では、地震後に格納容器の圧力が高まっていた。放射性物質の放出を承知で弁を開け、原子炉を守る格納容器が圧力で壊れるのを防ごうとした。一旦は弁の開放が確認された。爆発が起きたのはその後のことだった。

 原子炉は地震で自動停止したが、安定させるには原子炉内の水の温度と圧力を下げる必要がある。しかし熱を冷ます水を注入する装置が動かなくなり、水位が下がって炉心の一部がむき出しになった。この状態が続けば炉心は高温になって溶けだし、大量の放射性物質が外に出る恐れがある。

 燃料棒は、核分裂反応に伴う放射性物質が外に漏れ出ないよう、1800度以上の高温にならないと溶けない合金製の被覆管で覆われている。さらに高温になると燃料も溶けだす。

 実際、これらが溶けてできたとみられるヨウ素やセシウムなどの放射性物質が検出された。京大原子炉実験所の小出裕章助教(原子炉工学)は「燃料が溶けているのは、炉心溶融の始まりだ。」と話す。

 溶融を防ぐには、大量の水で炉心を冷やす必要がある。熱で蒸発すると炉内の加圧も招いてしまう。弁を開けば、圧力が下がり、水を入れやすくなる。ただ、被覆管の合金は、高温な状態で注水すると急速に酸化し、水素が発生して爆発を起こす可能性もある。

 小林秀雄・横浜国大安心・安全の科学研究教育センター客員教授(破壊工学)によると原発で起こりうる爆発としては、水蒸気爆発と水素爆発の2つが考えられるという。当初、爆薬などを使った人為的な爆発との見方も出たが、「爆発の瞬間の映像を見る限り、意図的なものとは考えられない」と話す。

 原子炉は、内側から鋼鉄製の圧力容器、格納容器、鉄筋コンクリートン性の原子炉建屋の「3つの壁」に守られている。今回の爆発で壊れたのは、いちばん外側の原子炉建屋だけで、内側の2つは守られたとみられる。仮に2つの壁が一気に崩壊すれば、大量の放射性物質の放出を招き、「打つべき手は退避しかない」という状況だった。

 宮崎慶次・阪大名誉教授(原子炉工学)も水素爆発の可能性を指摘。米スリーマイル島の原発事故で起きた水素爆発でも格納容器は破壊されなかったことから「今回も同様に破損している可能性は考えにくい」とみていた。

 ただ、「対応が遅すぎる。想像できない事態で、わが国で起きた原発の事故では最悪。もっと早く電源を確保し、原子炉の冷却などの対応をとっていれば、事故につながらなかったはずだ」と指摘する。万が一の過酷事故を想定して、国は1992年に電力各社に対応策を立てるよう要請。東電もこれに沿って代替えの注水手段を考慮していた。

 ただ、依然冷却が必要な状況に変わりない。溶融が進めば、炉心の構造物も破壊され、炉心を守る圧力容器を貫通する。さらに外側の格納容器も損傷して放射性物質の閉じ込め機能を失ってしまう恐れがある。

冷却へ注水急ぐ
廃炉覚悟、海水投入

 今後も必要なのは、核燃料の周囲を大量の水で満たし、原子炉の温度と圧力を下げることだ。
これまで消防用のポンプ車や自衛隊の車両も使って水を投入してきたが、東電は確保しやすい海水も使うことに決めた。塩分など不純物が多い海水を使えば、今後の復旧は難しくなる。

 さらに、核分裂反応が連鎖的に起こる「臨界」になるのを防ぐため、ホウ酸水も注入する。原子炉建屋という外部への放出を防ぐ、最後の砦がない中での異例の作業になる。

 制約になるのは、作業員の被曝だ。小林客員教授は「被曝を考えると一人ひとりは限られた時間しか作業できない。今後、大量の作業要員が必要になるかもしれない」と話す。

 一般人の年間被曝量の限度1_シーベルト。これに対し、作業員は年間50_シーベルトで5年間では100_シーベルトまでが限度だ。非常事態の場合でも100_シーベルトまで。今回作業に当たった人の中には100_シーベルト以上を被曝している人もおり、長時間の作業につくことはできない。

 東電によると、作業員は放射性物質を体内に取り込むのを防ぐためのマスクや被曝量を測る装置を身につけている。装置が80_シーベルトを計測して警告が鳴ると、作業を中断して引き上げることになっている。

菅首相、上空から視察

 12日午前6時14分 菅首相は陸上自衛隊ヘリコプターで官邸へリポートを出発。斑目春樹原子力安全委員長らも同行。第一原発に到着。上空から被災状況を確認し、防災服にスニーカー姿でマイクロバスに乗り込み、敷地内を視察した。重要免震棟に移り、東電側から被災状況の説明を受けた。8時4分、陸自ヘリコプターで福島原発発。29分仙台市の陸自霞目駐屯地着。宮城県沿岸部の被災地上空を視察。10時47分、官邸へリポート帰着。

 首相官邸に戻った際、「改めて津波の被害が大きいと実感した」と話した。その後、開いた緊急災害対策本部で首相は「多くの海岸線では住宅地が流出し火災が続いている。この一日、どこまで救出作業が進むのか大変重要な一日だ」と述べた。

避難指示ぶれた情報

 東日本大震災による影響で緊急事態宣言が出された1号機をめぐる対応で、菅政権の国民への情報提供が後手に回っている。原子炉内の燃料の溶融が進んでいる可能性に加えて、12日午後には敷地内から爆発音も確認された。ただ、国民に大事な避難指示を半径10`から20`まで拡大したのは日も暮れた3時間後で、菅首相の国民へのメッセージはさらに2時間後となった。

11日深夜に公表された政府資料には、2号機をめぐる現状の記載事項の中で
11日22時20分頃、炉心損傷開始予想
11日23時50分頃、燃料被覆管破損予想
 といった記載があった。
 こうしたことから、第一原発をめぐっては炉心溶融や屋外への放射線放出の可能性が指摘されていた。

12日午後3時36分、第一原発の敷地内から爆発音と白い煙が確認された。
12日午後5時46分
 枝野官房長官は「原子炉そのものであることは今のところ確認されていないが、何らかの爆発的事象があったことは報告された」とし、さらなる避難指示は否定した。

 枝野氏の会見は30分余り続いたが、その直後の
午後6時25分
 菅首相は福島県知事などに宛てて原子力災害対策特別措置法に基づく指示を発令し、福島第一原発の避難指示を半径20キロ圏内まで広げるよう求めた。
 爆発音から5時間後、
午後8時30分
 菅首相は、自ら国民に向けて20キロ圏退避のメッセージを発する。
午後8時41分
 枝野官房長官は「爆発は建屋の壁が崩壊したものであり、中の容器が爆発したものではないと確認された」と語った。
 
 こうした政権の対応ぶりについて、災害時の心理に詳しい広瀬弘忠東京女子大教授(災害・リスク心理学)は、政府などによる情報の出し方について「パニックを恐れて、余計な情報は出さない配慮が透けて見える」と話した。

保安院・東電「確認中」連発

 12日午後3時半に起きた爆発をめぐり、国や東電は情報の確認や釈明に追われた。

 午後5時ごろ、東電本社で広報担当者を記者たちが取り囲んだが「ちょっと確認してきます」と繰り返すのみ。会議室に入って10分ほど打ち合わせをした後も、「タービン建屋付近で白煙が上がった」といった後、別の担当者が「原子炉建屋かもしれない」とひるがえすなど、情報の混乱ぶりは明らか。

 保安院は当初、午後5時15分からの記者会見を開くことにしていたが、「首相官邸とも調整して、情報を集約してから会見する。非常に厳しい状況だ」と開始直前になって延期。

 午後6時、爆発から2時間を経過。保安院の中村幸一審議官は「どこで爆発が起きたのか」「状況をもっと詳しく」「原子炉は安全なのか」といった質問に「確認しているところ」「情報を集積し、分析し、検討することが大切」などとメモに目を落としながら同じ文言を繰り返すばかり。記者から「説明がなければ住民も安心できない」と詰め寄られた。

 東電も情報のなさを露呈した。原子力運営管理部の担当者らは「確認中」を繰り返した。

 原発の現場で原子炉に水を入れる作業をしていた東電の関係者4人は病院に運ばれたが、意識はあるという。ただ、「原子炉建屋の屋根が崩落したのはテレビで確認した」と語るなど、現場から情報が得られていない様子。4人の作業の中身や放射性物質の拡散状況については「わかりません」「確認しています」で終わった。

 午後7時30分過ぎ、小森明生・東電常務は「原子炉建屋の内部は放射線濃度が高いので、安全の確保を含めて時間がかかっている。建物の中をくまなく見るのは難しい」と述べた。


ちょっと余計な一言 

          未来を照らすのは君たちだ




安比スキー場其1





  山菜採りに案内していただいたM新報のS常務とは、文字通りの裸の付き合い、よく飲み、よく唄 い、人生の機微を教えていただいた。
故人となられたS常務に心底より感謝したい。


後期高齢者の仲間入り。心身ともに健康でいられるように、ホームページに挑戦しています。



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