大都会から離れた津軽にははっきりとした四季があった

   地吹雪が津軽三味線の音律に聞こえる

  開放感あふれるの舞台。

  躍動感いっぱいのり。

   紅葉で燃えるような弘前城庭園。

   見知らぬ人と話題が弾む掛け流し温泉

There were four distinct seasons in Tsugaru away from the big city

 Winter when the breeze can hear the Tsugaru shamisen noises.
 A stage of cherry blossoms full of openness.
 Festival full of lively dynamism.
 Hirosaki castle garden that burns with autumn leaves.
 Hanging out hot springs where topics bouncy with strangers
        

津軽紀行01




                     

                                                                                                       ?Try Google News Archive Search
2016.12.20〜 


  津 軽 紀 行
     Japan's Tsugaru




2017.10.1改


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禁転載



R 恐山

 家内が来弘したので、下北半島の霊場、恐山にドライブした。早朝6時に出発。青森からは国道4号を野辺地へ。ここからのハマラスラインは、波も穏やかな陸奥湾を左手に眺めながらむつ市へと向かう。むつ市内は標識の通り忠実に進まないと、別の方向へ向かってしまう。繁華街から細い道を左折して恐山への道へと入る。宇曽利山湖まで12`。両脇をヒバ、ナラの森が続く山道を進んでいくと、所々にエプロンをつけたお地蔵さんが道の袂に行儀よく座っていた。車は冬季立ち入り禁止のゲートを抜けて、霊地へ踏み込んでいった。やがて湖面に冷々とした小波が立っている宇曽利山湖が姿を現した。背後の荒涼とした暗灰色の岩肌に強酸性の湖。浄土の風景に例えられる光景はすさまじさが印象に残った。
 死して恐山に行くという言い伝えは、この地に立ってうなずけるものがある。地球創成期そのままに活動しているといわれる恐山は、巨大なカルデラの中にあるという。カルデラ湖畔には硫黄泉が音を立てて噴出し、亜硫酸ガスが岩肌を焼いていた。

            宇曽利山湖
(yahooより)


 境内に入ると荒野のあちらこちらに石が積まれ、色とりどりの風車がカラカラと乾いた音を立てて回っていた。早くして現世に別れを告げた我が子のために石を積み、風車を回して、極楽浄土での平安を願う親の気持ちをそこに見ることができた。カラカラと回る音は我が子の声に聞こえてくるのであろうか。
 新築された地蔵尊を祀る御堂に向かう参道の途中にたくさんの花嫁人形が奉納してある菩提寺の古い建物があった。嫁を娶ることなく、あの世に旅立った我が子にせめて来世では日本人形のような美しい人を添わせてあげたいという親心は、石を積むことだけには留まらず、ここにもその気持ちが映されているようだった。



 高野山、比叡山とともに日本三大霊山に数えられる恐山。下北半島の中央部に位置するこの山の由来は、名僧慈覚大師(円仁)が唐の五台山で修行中、夢に聖僧が現れ、都の東方に万病に効く温泉が湧き出ている霊山があると告げられたことから始まるといわれる。第四帰国後、教えに従って東北地方に霊場を訪ね、山野を渡り歩いて本州最北の地に至った。ある日道に迷っていると一羽の鵜が魚をくわえて飛び行くのを見た。大師はさらに奥に進んでいくと、満々と水をたたえた宇曽利山湖を発見する。付近の荒涼とした様子はさながら地獄のようであり、また豊に湧く温泉を見て、こここそ探し求めた霊山であると確信した。慈覚大師は地蔵尊一体を刻し、その中に唐より持ち帰った地蔵経を納めて一宇を建立、今日の地蔵堂の元を開いた。貞観四年のことであったという。
 さらに宇曽利山湖を中心とした境内には、渡り賃として幾ばくかの小銭を持った死者が冥途に旅立つという「三途の川」、沸々と噴き上げ噴き立つ湯の湯野音が、地獄に落ちた悪行深い亡者の悔恨のうめき声と言われる「地獄谷」「血の池地獄」、小さな石像二体が建っている白砂清祥の「極楽浜」があった。(恐山パンフッレト)
 恐山で有名なのはイタコの「口寄せ」であろう。津軽地方の神社の祭礼では、参道の掘立小屋を建てて「口寄せをするイタコの姿を多く見かけたが、恐山例大祭と秋詣りの境内での「口寄せ」が全国的に名を馳せている。津軽の文学者で医学博士、また政治家としても人望のあった都賀博士の著述(陸奥新報連載)によると、盲目の巫女がイタコと呼ばれるまで、師匠の身の回りを世話しながら、想像を絶する辛い修行に耐えて、特殊な能力を身に着けていくという。渡り歩く津軽三味線弾きのもとに嫁いでいった女性の多くが盲目であったように、雪深い津軽、下北に生を受けた不遇な女性たちは血と汗を滲ませながらこの世を生き抜いていったのであろう。両手を合わせると数珠の音があたりに響き渡り、独特の旋律に乗って「口寄せ」は始まる。ある霊は生前の不徳をわび、またある霊は残された者へ供養の礼を述べる。イタコが発する霊の言葉は聞く者の胸を打ち、在りし日の故人の姿を想い出させるという。時代の趨勢か、艱難の修業を重ねたイタコと言われる老人たちも数人が生存しておられるだけで勿論、後継者はいないという(平成元年当時)
 二人の恐山参拝は、寂しくこの世を去っていった多くの礼に頭を垂れながら、現在の幸せを実感させてくれた時間を持てたことで有意義であった。
 
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津軽ごたく帳 陸奥新報

 お前もか 師走に入ってH市のM氏は大多忙。次から次へと仕事が重なって、トイレに行く暇ももったいないくらい。そんな忙しい一日が終わってほっとしたM氏、たまには息抜きをしなければーと、友人N氏と連れ立ったネオン瞬くK街へ足を踏み入れた。
 笑顔いっぱいのホステスに迎えられてコートを脱ぎ、奥まった座席に腰を落ち着けたM氏、さあこれからという矢先、どうも隣に座ったホステスの視線が気になる。「オイ、なに見ているんだバ」とそのホステスをいぶかると、ホステス嬢、「マーさん、社会の窓が…」と小声。慌てたM氏、ジッツパーを上げようとしてみると、社会の窓が開いているばかりではない。セガレがヒッコリ。M氏は押し込めながら、つぶやいた。「おめえも飲みたぐなったのな」。



ただ風が吹いているnomi R

 子供のころ近所の仲間とよく遊んだのが、ベーゴマ、ビー玉、メンコである。鋳鉄製のベーゴマは1ミリぐらいの専用の麻紐に二つのこぶを造り、ベーゴマの裏側、円錐に沿って巻きつける。それを樽の口にゴムシートで覆った直径40pほどの土俵に4,5人が一斉に、「チッチノチ」と掛け声をかけて、勢いよく叩き付けるように投げ込む。投げ込み方によって、ベーゴマは傾斜する。この傾斜角の部分が、相手のベーゴマに潜り込んで土俵から追い出す。または力強く投げ込むことによって、回転数が他より高くなって、やはり相手をはじき出す。最後まで残った一人が手際よく自分の駒を片手で掬い上げる。もちろん、落としてしまえば他のベーゴマを総取りする権利を失う。調子の良いときはミカン箱いっぱいベーゴマを獲得することになる。このベーゴマ遊びは自分のテリトリーだけではなく、ガキ大将に連れられて、よその島まで遠征していた。強いべーゴマを磨き上げるために、金物屋から、ノコギリ研ぎで使い古したヤスリをもらい受け、表面を6〜8角形に削っていった。小学校3年のころ、腕前を披露するために、何人かがクラスに持ち込んで、先生に見つかってしまった。市場のおもちゃ屋で、中古のベーゴマが売り1〜1.5円、買い2,5円で勝負強いものはいい小遣いになった。当然ばくち行為なので、ベーゴマは没収。持ち込みは禁止となってしまった。それでも暫くは廃れることはなかった。現在ベーゴマを鋳造している鋳物工場は川口市で1軒だけ残っているようである。

 

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底言

朝日新聞紙面で見る「福島第一原発事故」
技術者OBによる紙面切り貼り<〜2017年9月27日>

 新聞記者ではない小生には、取材するすべはない。あるのは配達される新聞記事をスクラップして、事故の発生から経過を知ることだけである。多くの読者もまた同じであろう。

 東日本大震災発生からの朝日新聞の記事については一切の改変をすることなく、出来るだけ丁寧に拾い出したつもりである。
 20012年になって、朝日新聞本社に問い合わせても、記事の抜粋は何の価値もないと言われた。だが、政府の公式な議事録がとられていなかったことが後に判明した。この抜粋を残すことで、福島第一原発事故の発生から幾年にもわたる対処までの過程が後日、何かの足しになるのではないかと思い、まとめることにした。

 不幸にして再び国内もしくは世界のいずれかで、重大な原発事故が発生した時、この資料が役立つ時があるかもしれない。そんなことがあってはならないが。

 <2011年3月12日朝日新聞朝刊14版>

東日本大震災
世界最大級・大津波

 2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする大地震。宮城県栗原市で震度7を観測した。北海道から九州にかけての広い範囲で震度6強〜1の揺れと津波に襲われた。東京23区では震度5強。震源は宮城県男鹿半島の東南東約130`。深さ約24`。
 気象庁は岩手県北部から福島県、茨城県の県境まで長さ約400キロにわたって、断層が破壊されたとみる。
 各沿岸での最大波は、福島県相馬市で7.3b以上(午後3時50分)、茨城県大洗町で4.2b(午後4時52分)、岩手県釜石市で4.1b以上(午後3時21分)。
 八木勇治・筑波大准教授の解析では長さ600キロ、幅200キロの範囲の断層が破壊して起きた。大きいところで、8メートルずれ動いたと推定している。
 気象庁の発表では今回の地震はマグニチュードM8.8。米地質調査所(USGS)はM8.9と発表している。想定されていた宮城県沖地震に比べ、エネルギーは約90倍にのぼる。
 前地震予知連絡会長の大竹政和・東北大名誉教授は「ここ数日の間に起きていた地震は前触れで、一気にエネルギーが噴出したのではないか」と話す。地震による揺れは宮城県栗原市築館で2933ガル(ガルは加速度の単位)を観測した。重力加速度の3倍の強さという。

東北地方太平洋沖地震
 震源域は東北地方から関東地方にかけての太平洋沖の幅約200`長さ約500`。
津波は海岸から6`内陸まで遡上、津波の高さは8〜9b。

原子力緊急事態宣言 (全文)

 平成23年(20011年)3月11日16時36分、東京電力(株)福島第一原子力発電所において、原子力災害対策特別措置法第15条1項2号の規定に該当する事象が発生し、原子力災害の拡大の防止を図るための応急の対策を実施する必要があると認められるため、同条の規定に基づき、原子力緊急事態宣言を発する。

(注)
 現在のところ、放射性物質による施設の外部への影響は確認されていません。したがって、対象区域内の居住者、滞在者は現時点では直ちに特別な行動を起こす必要はありません。あわてて避難を始めることなく、それぞれの自宅や現在の居場所で待機し、防災行政無線、テレビ、ラジオ等で最新の情報を得るようにしてください。
 繰り返しますが、放射能が現に施設の外に漏れている状態ではありません。落ち着いて情報を得るようにお願いします。

福島原発が緊急事態
福島原発、放射能放出も

 11日午後3時42分、経済産業省原子力安全・保安院によると。東京電力から福島第一原発1,2号機で炉心を冷やす緊急炉心冷却システム(ECCS)が動かなくなったという連絡が入った。別の装置で炉心に水を入れて冷やしていたが、午後8時半にはそれも止まった。
 枝野幸雄官房長官は同日夜、首相官邸で記者会見し、「原子力災害対策特別措置法に基づき、原子力緊急事態宣言を発令した」と発表した。緊急事態宣言の発令は初。
保安院によると、地震で原子炉は停止したが、核燃料の熱が出るため、炉心に水を入れてやる必要がある。炉心に注水する隔離時冷却措置は動いていたが停止。停電に加え、13基ある非常ディーゼル発電機もすべて停止し、ECCSが作動しない状態が続いていた。
 東電は、電源車51台を同原発に向かわせ、同日深夜に1台が到着。2号機の一部の電源を確保した。ただ、1,2号機とも水位は徐々に低下しているという。東電は11日未明の会見で、原子炉の格納容器の圧力が高かまっているとして、放射能を含む蒸気を外部に逃がして格納容器の損傷を防ぐことを検討していることを明らかにした。
 11日午後9時23分、政府は特措法に基づき、第一原発から半径3キロ以内の住民に対して「避難指示」を、また半径3〜10キロ以内の住民に「屋内退避」の指示を発令した。枝野官房長官によると、現時点で放射能漏れは確認されていないという。

保安院「想定外の事態だ」
空だき防ぐECCS動かず

  「女川で10b津波」。「誰か電話に出て!」。地震発生直後、東京・霞が関の経産省原子力安全・保安院の緊急時対応センター。立ち入りを禁じられた報道陣の待つ廊下に、大きな声が響いた。
  「全交流電源喪失」。保安院の職員が緊張した面持ちで報道陣に情報を伝えた。東電福島第一原発1,2号機は最も安全上の影響が大きかった。外部からの送電が止まった上、緊急時に動くはずの非常用発電装置も止まり、電気で動かす緊急炉心冷却装置(ECCS)が全く動かない、という想定外の事態に。
 東電が発電できる電源車を向かわせたが、「到着した」という発表の後に「やはり到着していなかった」と訂正するなど混乱した。情報収集に追われる中、保安院の幹部は第一原発の陥った状況について「技術的にはかなり起こりにくい状況だ」と漏らした。
原発では、原子炉が空焚きになるのを防ぐため、非常用炉心冷却システム(ECCS)を備えている。原発の安全を確保する上で、最も重要なシステムが、電源喪失によって機能しない状態に陥った。
 東電によるとECCSの一部は、外部電源がないと作動しない仕組みになっている。第一原発では地震後、炉心に残る蒸気の圧力で炉心を冷やす「隔離時冷却装置」や非常時の復水器が作動しており、11日午後9時現在、ECCSが作動すべき状態にはなっていないという。
しかし、外部電源が確保できていないため、このまま炉心内の水位が下がると、ECCSが作動すべき時に作動しない状態だという。緊急事態に備え、ECCSを作動させる外部電源として非常用のディーゼル発電装置を備えているが、今回はそれも動かなかった。また、外部電源がないため、炉心の温度や水位が測定できず、隔離時冷却装置や復水器がどの程度作用しているかわからないという。
 ECCSは、炉心の過熱や歩損を防ぐため、冷却水を強制的に送り込む総合システムだ。第一原発のような沸騰水型炉の場合、炉心のある圧力容器の上部から高圧で水をまく炉心スプレーや圧力容器外側を囲む格納容器スプレー装置など複数の装置からなっている。
冷却水が流出してECCSが実際に作動した初めての例は、1991年2月に起きた関西電力美浜原発2号機の事故。蒸気発生器の伝熱管1本が破断して原子炉が自動停止。このときはECCSが作動した。(つづく)



ちょっと余計な一言 

             若者の棄権、明るい未来の放棄につながる。


下風呂温泉、奥薬研・河童の湯へ




  山菜採りに案内していただいたM新報のS常務とは、文字通りの裸の付き合い、よく飲み、よく唄 い、人生の機微を教えていただいた。
故人となられたS常務に心底より感謝したい。


後期高齢者の仲間入り。心身ともに健康でいられるように、ホームページに挑戦しています。



ご感想、ご意見をお寄せください。fk629m6@coda.ocn.ne.jp 松原靖