6 大都会から離れた津軽にははっきりとした四季があった

   地吹雪が津軽三味線の音律に聞こえる

  開放感あふれるの舞台。

  躍動感いっぱいのり。

   紅葉で燃えるような弘前城庭園。

   見知らぬ人と話題が弾む掛け流し温泉

There were four distinct seasons in Tsugaru away from the big city

Winter when the breeze can hear the Tsugaru shamisen noises.
A stage of cherry blossoms full of openness.
Festival full of lively dynamism.
Hirosaki castle garden that burns with autumn leaves.
Hanging out hot springs where topics bouncy with strangers
        
 

津軽紀行01


                                                                                                             

                           2016.12.20〜
    津 軽 紀 行
     Japan's Tsugaru



                                                         
2018.08.01改


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禁転載




お山参詣(再掲)

 真夏のねぷた祭りが過ぎると、津軽は急速に秋の気配を増す。お山参詣である。岩木山神社を中心とした津軽最大の祭りに、山麓の各集落から多くの人が集ってくる。

 弘前駅バスターミナルから百沢行きのバスに乗る。土手町通りから城堤に沿って馬屋町、鷹匠町、駒越町、岩木橋を渡って市郊外に出る。鯵ヶ沢街道の広い通りを岩木高校を経て、田園風景を左右に眺めながら、新法師から山麓にかかるとリンゴ畑となり、山肌に「サイギ、サイギ」とお山参詣の大きな看板が見えてくる。ちょっとした坂道である。観光客を呼び込むリンゴ園を過ぎて百沢部落。最後の旧坂を超えると岩木山神社門前に着く。百沢部落は昭和50年、土石流で多くの人家が被害にあい、百沢公園では観音像を建立して死者をともらっている。

 岩木山神社のある旧岩木町は津軽国定公園、岩木高原県立自然公園を抱えた岩木山麓南側に位置する。北緯40度37分、東経40度23分、北京、ニューヨークとほぼ同緯度である。当時,町の花は「みちのくこざくら」。鮮やかなピンクの花を6月頃、一斉に咲かせる岩木山特有の高山植物である。

 町のどこからでもお山が望める。


「さても見事な津軽の岩木、冬は真白く春青く、

     夏は墨染め秋錦、衣替えする鮮やかさ」



 津軽謙良節の一節である。標高1,625b円錐形の二重式火山で、山頂は三峰に分かれている。巌鬼山と鳥海山は外輪山で、岩木山はそのあとに出来た鐘状型の中央火口丘である。山麓には嶽、湯段、百沢、三本柳などの温泉が湧出している。山頂へはスカイラインが69のカーブで八合目まで通り、そこからリフトで登る。日本海西海岸一帯と好天時には北海道南端が遠望できる。

岩木山観光協会

(yahooより)

 


 岩木山神社は元来、百沢寺の本堂として造営され、参道脇のお堂がその面影を残している。鎌倉以来の密教道場としての構造と。桃山精神を取り入れた絵様彫刻のある神社仏閣である。明治の廃仏運動のあおりで神社となり門前の大鳥居から社殿まで、長い石畳が山に向かって伸びている。楼門、拝殿、本殿、奥門、瑞垣は国重要文化財に指定されている。神社由緒によると永保年間(1081年頃)単語・由良湊の山椒大夫の奴隷であった安寿が岩木山に昇って神になったという伝説がある。1354年、足利尊氏によって山頂にお室が挙げられたが、天正の噴火によって諸堂焼失。その後歴代の津軽藩主が再建、1847年、現在の威容になったという。(『岩木山神社史』より) 


 お山参詣の行事は毎年旧暦8月朔日に催される。津軽一帯の信仰を集め、お山が望める各集落から参拝者が訪れる津軽最大の秋祭りである。

 この豊作祈願の登拝行事を「山カケ」「お山参詣」という。服装は白装束の修験者姿で、4〜5bの長大なカンナガラを束ねた御幣や布一反で作るという「奉納岩木山神社」の文字を染め抜いた巨大なノボリを一人で腹で支えて奉げる。津軽では山カケに行かない男は一人前ではないといわれる。「サイギ、サイギ」の呪文を唱和しながら整然と行進する。(カンナガラはヤナギ科の広葉樹の角材をカンナで削ったもの。薄いほど優雅に風になびくyahooより


お山参詣登山囃子





 女房と参拝した季節は山の木々もすっかり葉を落とし、大鳥居の左右には温泉宿の看板が湯気の中に立っているだけで、参道に人影はなかった。鳥の鳴き声も聞こえない。掃き清められた石畳の両側には直立した大杉が楼門に向かって何本もならんでいた冬の始まりであった。途中に太鼓橋がある。澄んだ水が落ち葉とともにゆっくりと流れているが、魚の気配はなかった。多少硫黄分を含んでいるためだろう。楼門からさらに急階段を昇ると本殿広場に出る。奉納された桃川、安東水軍などの酒樽が堆く積まれていた。静寂とした本殿で頭を垂れた。お互い何を祈願したのか聞くわけでもなく、語るわけでもない。が、それでい安ど感が滲み出るのは、社務所でお神籤を引いた時の会話で察しがついていたからか。参拝を済ませて再びバスで市内に戻った。






津軽ごたく帳陸奥新報 


 「鉄人」の異名をとったH市のO氏も歳には勝てず、近ごろ歯科医院に通い。去る日、診察台に案内されたが、当の先生が急用で治療を離れ、なかなか来ない。O氏、前夜の疲れが出てウトウトした。・・・と、間もなく先生が戻ってきたような気配がしたので、O氏、目をつむりながら「アーン」と口だけ開けたが、一向に治療してくれるふうがない。O氏、薄目を開けてみると

 O氏の診察台の脇にいるのは、先生とは似ても似つかぬご老体。びっくりしたO氏、「あんだ、だれですバ。先生どへしたバ。」と言っても、くだんのご老体、うろうろするばかり。すると看護婦さんの声あり。「おじいちゃん、トイレはそっちでありません。こっちですヨ」ご老体は診察室の中でトイレ探しをしていたのだった。


底言


何のためのマイナンバー

 平成28年1月から施行されたマイナンバー制度の目的は、行政の効率化と国民の利便性の向上、公平公正な社会の実現のための社会基盤を作ることでした。

 その範疇には医療保険制度の改善も含まれるものと当然理解していた。各医療機関を初診するたびに課せられる血液やレントゲン、MRI検査。それらの情報は別の医療機関を受診する際や、セカンドオピニオンでもほとんど活用されていない。また改めて再検査されることになる。

 今やインターネット活用が当然の時代である。医療行為のカルテがスーパーコンピューターで集中的に管理されていれば、国内どこででも医療専門家が閲覧することによって、迅速に的を絞り込むことができるはずである。

 医療行政にマイナンバーを組み込めば、公的医療保険制度や介護保険制度の健全化に大いに貢献できるはずである。それを拒んでいるのは誰なのか。私利私欲のために国民の健康をむしばんではならない。

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ただ風が吹いているnomi A

 遠足で上野動物園に京成電車で行くことになった。車両の左側によって車窓から見えてきたのは「おばけ煙突」だ。4本が2本になったり3本になったり。そのたびに甲高い声が響く。今と違いガタゴト揺れも騒音も大きいかったので、とにかく大声で叫びあった。

 博物館動物園駅を降りて、動物園に向かう地下道や道には多くの傷痍軍人がアコーディオンで軍歌を奏でていた。今から考えると残念だが、みな彼らを白い顔で見ていたと思う。本人の意思にかかわらず、赤紙一枚で徴兵され、手足をもぎとられて引き揚げてきた人たち。同じ戦争犠牲者なのに、責任を一手に引き受けさせているような風潮があったと思う。浮浪児も所在無げにたむろしていた。何かを欲しがってそばに寄ってくるようなことはなかった。彼等は逞しく生き抜き、朝鮮戦争を経て日本経済発展の一翼を担っていった。川田正子「とんがり帽子」、宮城まり子「ガード下の靴磨き」が唄われていた。

 京成電車では50`前後の荷物を背負った担ぎ屋さん専用列車、省線では大混雑の一般車両をよそにゆったりとした進駐軍の専用車両が連結されていた。

 






   ちょっと余計な一言 

           真理が我らを自由にする(国会図書館法前文より)




「十和田・奥入瀬散策」





  山菜採りに案内していただいたM新報のS常務とは、文字通りの裸の付き合い、よく飲み、よく唄い、人生の機微を教えていただいた。
故人となられたS常務に心底より感謝したい。


 後期高齢者の仲間入り。心身ともに健康でいられるように、ホームページに挑戦しています。



ご感想、ご意見をお寄せください。fk629m6@coda.ocn.ne.jp 松原靖