大都会から離れた津軽にははっきりとした四季があった

   地吹雪が津軽三味線の音律に聞こえる

    開放感あふれるの舞台。

    躍動感いっぱいのり。

     紅葉で燃えるような弘前城庭園。

      見知らぬ人と話題が弾む掛け流し温泉
          

津軽紀行01




                     


2016.12.20〜 


  津 軽 紀 行
     Japan's Tsugaru




 2017.8.1改


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禁転載


A お山参詣(再掲載)


 ねぷたが過ぎると、津軽は急速に秋の気配を増す。お山参詣である。岩木山神社を中心とした津軽最大の祭りに、いわき山麓の各部落から多くの人が集う。

 バスターミナルから百沢行きのバスに乗る。土手町通りから城堤に沿って馬屋町、鷹匠町、駒越町、岩木橋を渡って市郊外に出る。鯵ヶ沢街道の広い通りを岩木高校を経て、田園風景を左右に眺めながら、新法師から山麓にかかるとリンゴ畑となり、山肌に「サイギ、サイギ」とお山参詣の大きな看板が見えてくる。ちょっとした坂道である。観光客を呼び込むリンゴ園を過ぎて百沢部落。最後の旧坂を超えると岩木山神社門前に着く。百沢部落は昭和50年、土石流で多くの人家が被害にあい、百沢公園では観音像を建立して死者をともらっている。

 岩木山神社のある旧岩木町は津軽国定公園、岩木高原県立自然公園を抱えた岩木山麓南側に位置する。北緯40度37分、東経40度23分、北京、ニューヨークとほぼ同緯度である。当時,町の花は「みちのくこざくら」。鮮やかなピンクの花を6月頃、一斉に咲かせる岩木山特有の高山植物である。

 町のどこからでもお山が望める。

「さても見事な津軽の岩木、冬は真白く春青く、

     夏は墨染め秋錦、衣替えする鮮やかさ」


岩木山観光協会

 (yahooより)



 津軽謙良節の一節である。標高1,625b円錐形の二重式火山で、山頂は三峰に分かれている。巌鬼山と鳥海山は外輪山で、岩木山はそのあとに出来た鐘状型の中央火口丘である。山麓には嶽、湯段、百沢、三本柳などの温泉が湧出している。山頂へはスカイラインが69のカーブで八合目まで通り、そこからリフトで登る。日本海西海岸一帯と好天時には北海道南端が遠望できる。


 岩木山神社は元来、百沢寺の本堂として造営され、参道脇のお堂がその面影を残している。鎌倉以来の密教道場としての構造と桃山精神を取り入れた絵様彫刻のある神社仏閣である。明治の廃仏運動のあおりで神社となり門前の大鳥居から社殿まで、長い石畳が山に向かって伸びている。楼門、拝殿、本殿、奥門、瑞垣は国重要文化財に指定されている。神社由緒によると永保年間(1081年頃)丹後・由良湊の山椒大夫の奴隷であった安寿が岩木山に昇って神になったという伝説がある。1354年、足利尊氏によって山頂にお室が挙げられたが、天正の噴火によって諸堂焼失。その後、歴代の津軽藩主が再建、1847年、現在の威容になったという。(『岩木山神社史』より) お山参詣の行事は毎年旧暦8月朔日に催される。

 津軽一帯の信仰を集め、お山が望める各集落から参拝者が訪れる津軽最大の秋祭りである。この豊作祈願の登拝行事を「山カケ」「お山参詣」という。服装は白装束の修験者姿で、4〜5bの長大なカンナガラを束ねた御幣や布一反で作るという「奉納岩木山神社」の文字を染め抜いた巨大なノボリを一人で腹で支えて奉げる。津軽では山カケに行かない男は一人前ではないといわれる。「サイギ、サイギ」の呪文を唱和しながら整然と行進する。(カンナガラはヤナギ科の広葉樹の角材をカンナで削ったもの。薄いほど優雅に風になびくyahooより)


  お山参詣登山ばやし





 女房と参拝した季節は山の木々もすっかり葉を落とし、大鳥居の左右には温泉宿の看板が湯気の中に立っているだけで、参道に人影はなかった。鳥の鳴き声も聞こえない。掃き清められた石畳の両側には直立した大杉が楼門に向かって何本もならんでいた冬の始まりであった。途中に太鼓橋がある。澄んだ水が落ち葉とともにゆっくりと流れているが、魚の気配はなかった。多少硫黄分を含んでいるためだろう。楼門からさらに急階段を昇ると本殿広場に出る。奉納された地酒の樽が堆く積まれていた。静寂とした本殿で頭を垂れた。お互い何を祈願したのか聞くわけでもなく、語るわけでもない。が、それでいて安ど感が滲み出るのは、社務所でお神籤を引いた時の会話で察しがついていたからか。参拝を済ませて再びバスで市内に戻った。



津軽ごたく帳 陸奥新報

 光るコート H市に勤めるサラリーマンのO氏はモーレツな高校野球ファン。現在展開されている連日の好試合をラジオ中継で聞いて、興奮のし続けだが、アナウンサーが”コート光る!光るコート”と叫んだので、思わず頭に手をやった。
 実はO氏、若いのに「光頭会」の名誉顧問にもなれそうな明るいおつむの持ち主。それを今はやりの何とかでカバーしているので、無意識にそいつを保護したわけ。日本語の複雑さは世界でも有名だが、アナウンサーの”光る投手の好投”とO氏の!光る光頭”は同じ発音。とんだ罪作りといったところ。



ただ風が吹いているnomi A

 聖路加病院名誉院長・日野原重明さんが7月18日亡くなりました。105歳の生涯でした。延命措置を拒否され、この世を去るとき「皆さんありがとう」の一言、人生を締めくくるなんと見事なお言葉だったでしょう。

 小学校への「命の授業」の講義は10年以上に及んだそうです。首からぶら下げた聴診器を児童に渡して、お互いに心臓の鼓動を聞かせることで命の尊さを身体で感じてもらう。

 「なぜいじめてはいけないの?」「君と同じようにお友達も生きているんだよ」未来を担う世代に人を愛し、分け隔てなく接することの大切さを教えていました。

 平和への思いも強く、日本が唯一誇れるものがあるとすれば、憲法9条でしょう。と明快に答えておられました。9条の掲げる理念が世界から報復と暴力の連鎖を断ち切る崇高な理念であると。

 私にとっては巨星落ちるの心境です。土曜朝刊の別刷り「Be面」のコラムを楽しみにしていました。もう拝読できないのかと思うと残念です。

 

 JAL 日本航空 国際線航空券


底言

 新幹線網が張り巡らされて、地方経済にも少なからぬ貢献をしているようです。観光地へのアクセスも便利になりました。
 しかし地元に生活している人たちにとってはむしろ弊害があるようです。なんといっても在来線がJRから切り離され第3セクターの運営になり、地元経済の負担になっているところもあります。また運営本数が大幅に縮小され、通勤通学に支障をきたしています。すぐ隣り町へ出るにも新幹線を利用するための経済的負担も大きくなりました。
 朝日新聞の夕刊一面で、スペインの高速列車「タルゴ」が掲載されていました。在来線の軌道を走行でき、独立車輪方式を採用するなどして、線路状態が多少悪くともある程度の高速で乗り心地よく走れるそうです。 1編成の重量は新幹線の半分以下、製造コストも低く抑えているようです。
 新幹線は日本が誇る技術であることは間違いありません。経済の活性化には必要でしょう。が立ち止まって考えることも大事ではないでしょうか。
 最高速度300キロが常に必要なのか、高い利用料金を払わなくても利用できる交通網はないのでしょうか。
 通勤通学、買い物など利用するには時速150`前後で走る特別運賃無料の快速列車のような存在があれば十分であろうと考えます。
 地方都市間を結ぶ在来線には「タルゴ」のような低コスト車両を開発して、地方再生につなげていくことが大事だと思います。
 「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」です。


ちょっと余計な一言 

       あんなにしてやったのに 「のに」がつくと愚痴が出る (相田みつお「のに」



温湯こけし・温川温泉



  山菜採りに案内していただいたM新報のS常務とは、文字通りの裸の付き合い、よく飲み、よく唄 い、人生の機微を教えていただいた。
故人となられたS常務に心底より感謝したい。


後期高齢者の仲間入り。心身ともに健康でいられるように、ホームページに挑戦しています。



ご感想、ご意見をお寄せください。fk629m6@coda.ocn.ne.jp 松原靖