大都会から離れた津軽にははっきりとした四季があった。

    地吹雪が津軽三味線の音律に聞こえる

    開放感あふれるの舞台。

    躍動感いっぱいのり。

     紅葉で燃えるような弘前城庭園。

      見知らぬ人と話題が弾む掛け流し温泉
          

津軽紀行01


                     


2016.12.20〜 


  津 軽 紀 行
     Japan's Tsugaru




2017.3.1改


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禁転載



F 津軽三味線 山唄


 本場の津軽三味線を聞きに、「山唄」(2016.4閉店)に向かった。弘前駅前を右手に入った民謡酒場であった。ライブハウス「山唄」は津軽民謡の一方の雄、山田千里師が経営していた店で、ステージでの演奏には迫力があった。他方の雄は東津軽郡平内町出身の高橋竹山師だったのは言うまでもない。大御所だった竹山が流れるような旋律だったのに対し、千里の三味線はバチを激しくたたきつけ、感情をぶつける旋律だったと思うが、やがて繊細な流れの一面を見せたことに気が付いてきた。
 淡々と引く竹山の三味線も、起伏に富んだ千里の三味線もいずれ劣らず、シンシンと時には激しく降りしきる津軽の雪を瞼に浮かばせてくれた。どんなに技巧を凝らしても、目を閉じて三味線を聞くとき、吹雪ですっぽりと村がかき消されるような様が浮かんでこなくては、地に着いた津軽三味線ではないと思う。

山田千里師と福士りつさん夫妻


     

                      

 女房と二人で千里師と奥さんの福士りつさんの話を聞きに「山唄」に入った。机を挟んで話を聞くことができた。共に西津軽郡鰺ヶ沢町出身の魅力的なご夫妻だった。ドイツをはじめ、欧米公演を幾度かこなし、ライブハウス「渋谷ジャンジャン」でもたびたび公演したという。が、決して弘前は離れないという。津軽に居ての津軽三味線である。民俗芸能というのはその土地を離れたら、一時はよくともいずれは廃れてしまう。その土地の気候風土の中にあってこその魅力なのだと千里さんは熱っぽく語ってくれた
 15歳で津軽民謡の大御所原田栄次郎に入門した福士りつさんは、幼いころから江差をはじめ、蝦夷の各地を門付けして回っていたという。戦前の津軽は想像以上に貧しかった。三味線だけでは食えない。一座を組んで旅回りするにはニシン漁で活況を呈する蝦夷地は稼ぎ場だった。しばれる吹雪の中を飯場から飯場へ。木賃宿に泊まれればよい方であったと語る。津軽民謡一筋、先輩と同じ調子で唸っていたのではマイね。いかに自分独自の節回しを見つけるか?毎日が勉強だったという。今多くの民謡歌手がりつさんの真似をしようとするが、独特の節回しがとても追随を許さないらしい。ご夫妻は90年の第41回紅白歌合戦に出場している。







☆彡

 それにしてもこの淋しさは何だ。
  そのわけは千里自身が知っている。やっぱり、恋人福士りつが津軽に居ないという埋めるべないぽっかり空いた心の孔だ。

 病み上がりの体をおして昭和39年、東京浅草の民謡酒場「七五三」の扉を押した。
  いつものようにりつは得意の「じょんがら節」を唄っていた。

 千里はりつを呼んだ。

 「まだ、東京さいる気だな。そらあ、ま、「七五三」のNo1になったべし、食うに困ってるわげでねどもよ。もう、そろそろよ」
 「あ、帰る」

 りつは意外とも思えるほどあっさり承知した。
  千里の言葉を待っていたのかもしれなかった。

 津軽を知らない東京の酔客の前で唄って、それが一体何だというのだろう。津軽の民謡は津軽唄ってこそ味がある。りつもそのことに気付いていたかもしれない。

 千里はりつの帰りを待って、結婚。そして同じ年の昭和39年、民謡酒場「山唄」を開店した。

(松山仁著「小説・山田千里」より)


☆彡





 「山唄」にいがぐり頭のかわいらしい弟子が脇で一生懸命に三味線を弾いていた。彼もかなり上手い。それもそのはず、この少年は、私が弘前を離れた翌年の全国大会で見事、日本一に輝いた渋谷和夫君であった。
 彼は津軽三味線ライブ・故郷の響き「あいや」を弘前市内で経営している。

 


ラコステジャパン              




津軽ごたく帳(陸奥新報 


結婚して19年になるというのに子宝に恵まれず、一時は夫婦で「養子でも」と話し合ったH市のM氏の細君に、最近その兆候があったそうで、M氏の喜びは一方でない。同じく結婚8年目でいまだ子宝に恵まれないというA氏、うらやむことしきり。
 そこでA氏、さる夜にM氏をK街の某処に招き一席を設けて、その秘訣にあずかろうとしたそうな。席上、喜びの酒に相当酔ったM氏が言うには「これは口でしゃべったってちょうどよぐいぐもんでねエ。われさ任せなが」A氏、「任せろってどう任せるのよ。任せていいンだバ、苦労さねエ」とプンプン。
       

2017年ゴールデンウィーク国内旅行特集


 ただ風が吹いているnomi G

アルミニュームの弁当箱にはご飯の中に埋まった梅干しが一つ。つくだ煮やピンクのそぼろ、ごくたまに塩を利かせた卵焼き。一番好きだったのが海苔弁。醤油がご飯に浸み込んでなんとも言われぬ風味だった。
 5年生のある日からおかずだけの給食ができた。クラス全員で川に写生に出かけた。あとから給食係が交代で天麩羅が入ったバケツを重そうに運んできた。昼食時、大きな声が発せられた。腹を空かせ土手に座って対岸を写生していたが、一斉に給食係を取り囲んだ。天麩羅なんか普段、家庭ではなかなか出てこない。
 たまにパン食にすることもあった。10円玉2枚を握り、校門通りを挟んだ小川の上にパン屋と肉屋が並んでいた。コッペパンを一つ(大きかったな)、切れ目を入れてくれる。隣の肉屋さんでコロッケを二つ。キャベツを挟みソースをかけてもらい校庭で食べた。これは案外贅沢な昼食だった。

             

ちょっと余計な一言 空想の世界から夢はどんどん広がる。君も友達も。



単身赴任生活用品へ   弘前城(再掲載)




  山菜採りに案内していただいたM新報のS常務とは、文字通りの裸の付き合い、よく飲み、よく唄 い、人生の機微を教えていただいた。
故人となられたS常務に心底より感謝したい。


 後期高齢者の仲間入り。心身ともに健康でいられるように、ホームページに挑戦しています。



ご感想、ご意見をお寄せください。fk629m6@coda.ocn.ne.jp 松原靖